ツルタカブログ

ファッション感覚でランしてる

サブスク人生

ウデタテ・腹筋をする際にはいつも音楽をかけているのだが、選曲に変化がない。

これはいかん。新しい音楽を聞かないのは年をとっている証拠である。このままじゃ老いていくのみだ。ダサいぜ。

とはいっても、ラジオも聞かなくなったし音楽雑誌も読まなくなった、新しい音楽へのきっかけ、接点が減ってきた。

CSでやっている夏フェスの特番をカタログがわりにつかっていたが、それも限度がある。外資レコード屋も、最近ではまったくエッジィでは無く、入り口にアイドルのパネルが置いてある始末。試聴機にはっているディスクのセンスもやばけりゃ、ポップのセンスも無い。足が遠のいた。

 

となると、やっぱりサブスクリプションサービスに手をだすか。

これからはサブスクが主流になるのか。おっさんだけどサブスクやってみるか。サブスクおじさんの誕生だ。

 

流行っているのは知っているのだが、みなさんは家でどのようにして聴いているのだろうか。

PCのスピーカーから?スマホからBTでスピーカーに飛ばしているのか?

再生環境がよくわからん。おっさんだから、どてんと部屋においたスピーカーから聴きたいのだが、そういうリスニング環境自体古いのか。おっさんに優しく無い世界だ。

 

ニハトモアレ、聴き放題ってのは良い。どこのサービスが良いか検討してみよう。

聴き放題、食べ放題、飲み放題、素晴らしい響きだ。

そういや、俺の体も使いたい放題だ。死ぬまでこき使ってやろう。

 

 

つるやたかゆき

 

 

XCスキー ギア考察

冬用のランギアは、昨年でほぼ完成した。

モンベルのトレールアクションパーカーとパンツ。


インナーは、これまたモンベルのジオラインLWのラウンドネックシャツ。
あとはBUFFのネックウォーマー。

この装備で昨年は12月から3月まで対応できた。我ながら便利な身体だなーと思う。
4か月間、装備が一緒でも苦にならない。


と、安心しきっていたのだが、『浜の真砂は尽きるとも世に物欲の種は尽きまじと』(一部改変)とのことで
新しい装備に気持ちを奪われている。

というのも、今年の冬はランは小休止でメインはXCスキーに集中する予定。
ランは平日夜のみで、週末はがっつりXCスキーをやりたいなと。

XCスキーは、通常2ピースのレーシングウェアを着て行うのだが、これが寒い。
晴れている日は運動強度をあげれば暑いくらいなのだが、日差しが無い時は、いつまでも寒い。
また運動を停止したときは、スッと熱が引いていき耐え難い寒さを味わう。

いろいろと調べると、2ピースのレーシングウェアは大会の際に着用して、普段の練習はオーバージャージと呼ばれる
防寒と発汗透湿ができるソフトシェルアウターを着ているとのこと。
うん、たしかに周囲の人たちはそんな感じだったな。
ということでオーバージャージを物色していたのだが、これが本当に高い。びっくりした。
XCスキー市場が狭く、欲しがる人もいないので生産単価が下がらないし、競争原理が働かない(競争原理が働くほどプレイヤーがいない)
のでこれはしょうがない。みんな、XCスキーやろうぜ。

いろいろ代用できないかと調べているが、どれも帯に短しオビワンケノービとフォースを感じることができない。
どれもタイトさにかけるのだ。いや別に僕のスピードなら風の抵抗なんて微々たるものなんだけど、どうしてもアウターをパタパタいわせながら
XCスキーを滑らせるイメージができない。

いろいろ見ているが、モンベル(また、モンベル)のクロスランナージャケットとパンツの組み合わせが良いのかなーと思っている。
これなら細身だし、XCスキーシーズン以外も使える汎用性もある。
ただ防寒性については、ライトシェルジャケットよりも悪そう。(背面に防風加工がされていない。)
本来の防寒性能が低かったらどうしようかな。こればっかりは外で試してみないとわからんしな。
困った困った。困っている時が一番楽しい。


つるやたかゆき

自動車税のこと。

最近、注目しているのがこのニュース。

https://mainichi.jp/articles/20181129/ddm/002/020/078000c

自動車に関わる税金を、『走行距離』ベースにすることを検討しているという記事だ。
ネット上を見ていると、結構反対が多い。
そもそも日本は自動車に関する税金が非常に高い。

■購入時
自動車取得税
自動車重量税

■所有時
自動車税

車検時にも上記の自動車重量税がかかってくるし、さらに車を走らせようとしたら
ガソリンが必要になってくるが、それにも税金がかかる。
(更に言うとガソリン税に消費税がかかるという二重課税になっている)

自動車産業が国の基幹産業となっている国なのに、これでは車を所有することはまるで罰ゲームだ。
更に古い車は、自動車が上がるなど『エコ』の観点からも首をかしげざるをえない政策が堂々とまかり通っている。

最近、とみに発信力を増しているトヨタ自動車の『モリゾー』社長なんかに、ぜひこの件について発言してもらいたい。
若者の車離れって、この娯楽が多い時代に可処分所得をめぐる争いに車が負けた結果であって、
お金に余裕があれば、車を所有したいという人はまだまだいると思っている。


今回の『走行距離』ベースでの課税は、これから電気自動車がどんどん普及してガソリン税の税収が減っていくことを
見越してのアイディアだろう。

『とりやすいところからとる』のが税金の鉄則。
その観点からこのアイディアは間違っていない。とんでもない話だと思うけど。
そういう視点から見ると、これについて文句がでるのは当然だ。

ただ、個人的にはこの取り組みは面白いと思う。
前提として、すべての自動車関連の税金を『走行距離税』(仮称)にして、そこから割っていくということ限定だが。
(要は追加で税金をとるなってこと)
ガソリン税も、自動車税も、重量税もすべて『走行距離税』(仮称)に含めてしまう。
走行距離だと管理が難しい、メーターの巻き戻しがある、というならガソリン価格に入れてしまってもよい。
(電気自動車はどうするのって話もあるけど・・・)

要は走った分、税金がかかりますよって話だ。

これを言うと、地方で生活をしていると走行距離がのびる(公共交通機関が発達していないから)との意見もあるだろう。
だが、都心で高い駐車場代を払って週末のみ車を使う利用者が、地方の道路整備のお金を出すという発想そのものが異常だ。
日本はどんどん少子化して、あわせて地方の過疎化がすすんでいく。
数十人しか住んでいない村のために、道路を整備するのはそれこそ異常じゃないか?
少なくともその道路を整備するのは、使用者がするべきだと思う。
たとえば、都会に住んでいて地方の山登りが趣味という人は、その山に行くために車を走らせるわけで、その際に使用する道路の整備費用は
負担していることとなる。決して一方的に負担を押し付けているだけでは無い。
既に衰退期に入っている日本では、津々浦々同じクオリティで生活インフラを整備する体力が無いということを認識して、コンパクトに生活する発想に切り替えていくべきだと思う。

となると新しい道路は必要なく、既存の道路を整備にお金を使えるので結果的に支出は少なくなるのではないか。
全国津々浦々に高速道路を張り巡らすなんて、今の時代はナンセンスだと思うし、それを要求する地方(まあ、正確にはそこの議員さんと土建屋さん)は無視でよろしい。


また、燃費重視でおもしろい車が減るという声もでてくると思う。
だが、『使った分』の税負担となると、3人家族でミニバンなどといった不合理性も見直されるだろうし、ファミリーカーとは別に例えば趣味でスポーツカーを買ってみようという
人も出てくるはずだ。
なにせ使った分なのだから。いままでは所有するだけで無条件に徴収されたいたが、使った分となると週末にスペシャルな時間を過ごすために、趣味車を買うことも増えるだろう。
古い車だって、延命されるかもしれない。古い車は確かに燃費は悪いが、週末にのるだけなら負担は大したことがないだろう。これが本当のエコだと思う。すくなくとも環境負担が大きい
充電電池を搭載した車よりよほどエコだ。

そもそも燃費重視となると、車体の軽量化が必須となる。車の軽量化は快適な走りにてきめんに効くファクター。
『走った分』負担となるとこの方面の技術革新も今以上のスピードですすむと思われる。

案外、おもしろい車が登場する可能性も高いんじゃと考えている。
ワイドギアで変速を早めにして燃費を稼ぐという、90年代の日本車の発想に逆戻りする可能性もあるけど・・


と、グダグダ書いてきたが以上すべて屁理屈である。
受益者負担も度が過ぎれば、国がなりたたない。
趣味車を新たに購入するほど、この国の消費は元気じゃない。そんな余裕があれば貯金にまわすだろう。

都心の渋滞も、地方の衰退も税金の取り方を変えても解決なんてしやしない。


ただ、目先を少し変えると未来に対する光の当て方も変えることができる。
なので、『お上はすぐに弱者から毟り取ろうとする!』と条件反射でブチぎれる前に、自分自身でどんな未来が描けるかシミュレートしてみるのは悪くない。

そしてどうしても気にくわなければシステムから逃げ出してしまえばよい。それだけでだいぶ自由に生きていくことができる。


つるやたかゆき

夜ラン復帰

久しぶりの夜ランだ。

いやいや、夜も朝も関係ない。走ることがホント久しぶり。

 

ログを見てみると、9日ぶりのランだった。

走り方を覚えているかどうかも怪しいが、脚が軽い軽い。9日間の間に、ローラー台、フットサルはやっていたが、ランニングで使う筋肉はまた別なのか、脚が軽いったらありゃしない。

久しぶりに履く、adidas adizero boston6も何故か優しい感触。こんなに従順なキャラクタのシューズだっけ?

 

ともあれ、快適な10㎞。

こんなに幸せな気分で走ったのも久しぶりだ。走る根源的な喜びに満ち溢れたランだった。

タイムも特に無理していないのに、いつもよりキロあたり10秒速かった。まぁ、ここ最近のタイムはとんでもなく落ち込んでいたのであんまり参考にはならんけども。。

 

ということで、久々に走るという行為を堪能できたし、間が空いたからこそフレッシュな気持ちで走るという行為に向かい合うことができた。

走る前に見た、HDDレコーダーにいれっぱなしの『人は走るために生まれた~メキシコ山岳民族・驚異の持久力~』が良かったのかもしれんけど。

いや、多分こっちのおかげだな。

名著『BORN to RUN』の映像バージョンと言える。

作中に登場する、ララムリ達のレクリエーション『ララヒッパリ』もどういうもんか理解できる。

ララムリのみんなは、めっちゃ楽しそうに走るんだよなぁ。あの境地に早くたどり着きたいものだ。

 

人は走るために生まれた ?メキシコ山岳民族・驚異の持久力? [DVD]

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BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族

BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"

 

 


 

つるやたかゆき 

酸欠ローラー台

月曜日は有酸素運動オフDAYに決めているのだが、なんだかムズムズするのでローラー台30分。

気がついたら1週間以上も走ってない。

月間300㎞は無理だなぁ。。

 

ローラーは、7割程度の負荷からはじめて、8割9割と上げていき、ラスト2分を110パーセントでもがく。

酸欠でバクバク、汗はダラダラ、身体に悪そう。。

だけど普段のランではここまで追い込まないので、新鮮だ。

これはこれで続けていこう。もうじきXCスキーのシーズンがはじまる。そこまでに、滑りのテクニックはともかく脚の出力と心肺機能は問題ないレベルまで仕上げておきたい。

特に心肺機能、XCスキーの登りは時として無酸素運動ゾーンになるので、この状態で出力を維持できるようにしておかなきゃ。

 

つるやたかゆき

デトックス

またもや遅く起きてしまった。

この3連休は完全にダメダメな過ごし方。北海道に住んでいて、この季節に寝坊するというのは1日を放棄したに等しい。

昼から清田のほのかで、のんびり岩盤浴。薄暗い部屋の中に横たわり、ジワジワと汗を出す。途中で休憩を挟み都合90分くらいやっていた。

体も頭の中もすっきり。

いや、3ヶ月にいっぺんくらいはやっておくもんだねと思いながら、さて帰宅の段階でスマホを数時間ぶりに手に取る。

なんだかスッキリした気分から、もわーっとしてきたぞ。

 

別に汗を出すとか、お風呂に浸かるってことがスッキリした原因ではなくて、スマホにふれていない時間帯がある程度あったことが、このスッキリ感の原因なのか!?

 

そういや、同じ有酸素運動でもお外をランニングの1時間とテレビを見ながらのトレッドミル1時間じゃ、終わったあとの爽快感が全然違うもんなぁ。。

そうか、そうかそういうことなのか。

 

 

つるやたかゆき

ツルタカ書店 最近読んだおもしろい本 2018年3月〜6月

読破した本の整理を兼ねてアウトプットしておこう。

最近は読了後、読書メーターにログを残すようにはしていたが、アレってなかなか見返さないのね。

インターフェイスやUIが致命的に使いにくいってのあるんだけど。

(だけど同じ本を読んだ人に、いいね!されると凄く嬉しい。)

なので、改めてここで整理しておこう。

 

 

減らす技術 The Power of LESS

減らす技術 The Power of LESS

 

いい事書いてあって、ナルホドと思わせるがそこまで止まり。成功の具体性に欠けるので、なにやら消化不良感がすごい。

この人が借金を返済して成功したのは本書に書いてあることを忠実にやったからではなくて、そのエッセンをいかに高く売るかをを考え抜いたかからであって、この本を読んだところで同じ成功には到底たどり着けない。

ゴールドラッシュのときに、道具やジーンズを売った人たちが結局もうかったように。

そして現代では、成功したと声高に主張してそのノウハウをオンラインセミナーや講演なので高額に売る人が結局すべてもっていくように。。

つまり、成功したきゃ他の誰もやってない手法を見つけることなんだけど、残念ながらこの本にはそんなことは一言も書いてない。残念だが、それを見抜けないと『搾取』される側からは抜けられない。この本は善人面して近づいてきているけど、そういう危うさがあると思う。

 

 

面白南極料理人 (新潮文庫)

面白南極料理人 (新潮文庫)

 

 ダラーっと読むには最適。ダラ本(本の雑誌みたいなクソカテゴリ名をつけてみた)。

とは言え、文章の教育を受けたわけではないから読んでいて疲れる。ただ、これは作者に非はない。そもそもそれを上手く修正するのが編集者の仕事なのに、それを放棄している。独りよがりで共感しにくい感覚や表現をパンピー向きに修正することを放棄している。こんなんなら出版社や編集者なんていらないんだよな。ブログで十分だ。本が売れないというが、そういうところまで見渡せる編集者が非常に減ってきていると思うのだ。これはかなり古い本だから、現在と状況が違うと思うけれど出版点数ははるかに増えているが、おそらく裏方の人間はその増加数に比例して増えていないはず。つまり品質はもっとさがっていてもおかしくない。なんとも心が寒くなる。

 

 

学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む

学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む

 

 佐藤優は現代の知の巨人である。哲学、神学、経済学を縦横無尽に駆使して、この悪魔のテクストを読み解いて行き、そこにある欺瞞を曝け出す。

前提となる教養がないと意味がわからない。正直に申し上げると、最後まで完全に理解できなかったし、サブテクストを用意して読解しようとも思わなかった。

ただ単に、世の中どんな時代にも優しい顔して恐ろしいことを考えている人間はいるし、それに騙される人間もまたたくさんいる。

そんなものに騙されて尊い『自分』ってものを売り渡すのはまっぴらごめんだ。

だから勉強しなくてはダメだ。人間、何歳になっても勉強しなくちゃダメだ。そう思わせる一冊だし、そのために読書は続けなくちゃダメだ。

 

 

プラハの憂鬱

プラハの憂鬱

 

圧倒的な知識、そのベースは学生時代からあったことがわかる。これを読むと、自分がどれだけ怠けた学生時代を過ごしていたかがわかる。恥ずかしい。本当に勉強って美しい。学ぼうとする姿勢って素晴らしい。

もういい歳だけど、勉強しようと思った。どんな方法でも良いから、勉強しようと思う。

 

 

あるミニマリストの物語―僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで

あるミニマリストの物語―僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで

  • 作者: ジョシュア・フィールズ・ミルバーン,ライアン・ニコデマス,Joshua Fields Millburn,Ryan Nicodemus,吉田俊太郎
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2016/04/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 よく出来すぎている物語だが、いわんとしていることはわかる。モノを減らすことが目的じゃなくて、好きなことに集中できる環境を作り上げることが大事。

少しずつ整理はすすめているが、その歩みの遅いこと遅いこと。処分に悩むものも多い。

だけど自分が心地よくいられる空間はプライスレスなはず。その日のために今日もモノを捨てよう。(あえて整理するとはいわない。)

それにしても、この作者、サラリーマン時代に稼ぎすぎである(笑)

 

 

必要十分生活~少ないモノで気分爽快に生きるコツ~

必要十分生活~少ないモノで気分爽快に生きるコツ~

 

全体的にセンスがあまり感じられない生活だった。持ち物とかいかにもだし。。これ読む時間を自分を見つめる時間にした方が良いかも。

この本に限らずだが、ブログ上がりの本は吟味が必要だ。出版点数を増やすために、それほど価値がない情報も書籍化する時代。書籍は音楽や映画と違って、権威的な評価軸が一部を除いてほとんどない。小説やノンフィクションは、ある程度権威的な評価を与える体制が整っているが、ビジネス書やこういった生活ノウハウ本はそれがないために、どんどん乱造されているのが現状だ。自衛しないと時間と金をどんどん奪われてしまう。個人的は出版社で見ているとだいぶ防げるとは思う。出版社って音楽でいうとレーベルだから、ある程度のカラーは剪定できる。

 

 

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

 

 半藤さんの軽妙な語り口から、昭和の歴史にグイグイ引き込まれる。本当にうまい。それにしても、政治家、陸軍、海軍のテキトーなことよ。現実を見ないで都合のよいことばかり考えて無茶苦茶ばかりする。度々、昭和天皇が困り果てている描写がでてくるのだが、本当に天皇陛下は大変だったと思う。昭和史のアウトラインを知るには最適な本。手元にずっと置いておいて暇なときに読み返したい本。松岡と牟田口は本当、極悪人だと思う。

 

 

昭和史戦後篇 (平凡社ライブラリー)

昭和史戦後篇 (平凡社ライブラリー)

 

 昭和史戦後編。日本は戦争中も適当だったが、戦後もなかなかに適当だったことがよくわかる。あらゆる責任の所在がまったくもってアヤフヤだった。始まりが歪んでいるのだから、今の日本がどこか歪なのも当然だろうと思うが、個人的にはその適当さが日本の本質なんじゃ無いかなぁと思う。だが、その適当さで救われた人もいたはずで、個人的にはあんまり嫌いじゃ無いメンタリティだ。むしろいまの方がギシギシで過ごしにくさを感じる。

そんな雰囲気で作られた憲法がいまの時代で再精査するとダメダメなのは当然。それを現代的にアップデートしなきゃダメなのに、憲法が『コーラン』みたくなっているので、その話し合いすらまともにできない。ほんと、つんでいるなあと思う。

 

 この本には何か具体的な生き方を示唆するような内容は無い。ただ、きっかけや考え方が随所に散りばめられている。お金じゃなくて、人間関係を大事にする。欲をかかない。労働力とは何かを考える。著者の本業とは違うお金の話なのでキレ味が悪いところもあるが、キリスト教徒としての彼の生きるためのヒントがしっかり書かれている。それを読み解けるかどうかでこの本の価値は変わりそうだ。

 

 

紳士協定―私のイギリス物語

紳士協定―私のイギリス物語

 

 プラハの憂鬱の姉妹本。イギリス人の少年との交流が眩しい。異国の地で、文化も背景も違う少年と知的な交流をしてお互いを高めて行く。こんなことができる教養のバックボーンが素晴らしい。

 

 

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

 

 素晴らしい記憶力に感服。そして情報屋としの矜持に心が打たれる。構成も見事で、あの事件の概要をしっかり理解することができた。圧巻は中盤以降の検事の西村さんとのやり取り。検事という対立する存在なのに、心のどこかで繋がっているような関係性を気づきあげるのは、さすが情報屋。それにしても省庁ってのもドロドロしてんなぁ。仕事だけしていれば良いってもんじゃないのは何処も一緒なのかね。。なんとも情けない話ではあるが。。

 

野戦病院でヒトラーに何があったのか: 闇の二十八日間、催眠治療とその結果

野戦病院でヒトラーに何があったのか: 闇の二十八日間、催眠治療とその結果

 

 どこまで本当なのだろうか。まるでフィクションのような仮説立てから進んで行くヒトラーが精神異常者であったという実証作業。通読しても本当かどうか判別できない。いや、かりにヒトラーが精神異常者だったとしよう。そんな異常者にドイツが、いや世界が振り回されて膨大な命が奪われた。恐ろしすぎる話だと思う。フィクションであってくれとさえ思う。『うわー騙されたよー、でも良かった良かった』って感じで。それくらい怖い話。

 

 

北海タイムス物語

北海タイムス物語

 

七帝に続く自伝的青春モノ。カタルシスの発散が非常に上手い。ためて、ためて、ドーンっとくる。最後の最後はムカつく宿敵のあの人までが味方になってくれる。この盛り上がり方、泣けるなぁ。女キャラの描き方に賛否あるけど、逆にリアリティを感じた。なにかに集中したら、それ以外の周りがどんどん希薄化していってあんまり意識しなくなる。あの子より権藤さんとの時間が大切だっただけ、熱中するってそういうことだと思う。あー、俺も完全燃焼して生きたい。

 

 

「知」の読書術 (知のトレッキング叢書)

「知」の読書術 (知のトレッキング叢書)

 

 電子書籍をどう生かすのか、著者独特の視点が面白かった。あと英語の勉強方法も参考になる。膨大な知識を持っている人のインプット術は素晴らしい。

 

 

自壊する帝国 (新潮文庫)

自壊する帝国 (新潮文庫)

 

 ソ連崩壊の内側を、著者の察した様々な交友関係をフィルターとして描いている。ソ連崩壊という重大な事象を立体的に描こうとするあまり、少し展開が冗長かな。ただ、情報屋としての凄味は伝わってくる。こういう風に世界と戦っている人がいるのだなと。そして、作者本人は意識してないだろうけど、ロシア料理とウォッカの描写が上手い。美味しそうだ。

 

 

世田谷一家殺人事件 15年目の新事実

世田谷一家殺人事件 15年目の新事実

 

 期待して読んでみたが、また一橋さんに騙された。いや、違う。グリ森以外が題材の時の一橋さんはこんなもんなのだ。グリ森だけが、あのデビュー作だけが飛び抜けていたのだ。『殺人兵士』『韓国マフィア』興味をそそるキーワードはでてくるが、通して読んでみると何が言いたいのかさっぱり。おそらく、真犯人は外国籍なのは間違いないだろう、だがここまで飛躍した発想は遺族に失礼だ。グリ森の時の斬れ味を取り戻して欲しい。

 

 

七帝柔道記 (角川文庫)

七帝柔道記 (角川文庫)

 

 北海タイムス』で感動したので再読。いやぁ、やっぱり面白いわ。ひたすら絶望的な練習風景が続くのだけど、これをやった人生ってすごいと思う。もう二度と学生時代には戻れないけど、読むと完全燃焼したくなる。まだまだ負けないぞという気持ちが湧いてくる。いや、ほんと負けてられない。 

ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編

ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編

 

 ちょっと無理があるなぁ。。どうしても自分の価値観に既存のミュージシャンを当てはめて解説することの無意味さを思い知るね。そして、湯山玲子の薄っぺらさが際立つ。この人、ただ単純に消費する人なんだよね。知的生産がなにもできない。こういう人こそ、女の人の価値を落としている象徴だと思う。本人は無能そうだから気がついていないと思うが、フェミニズムの最大の悲劇は身内に無能が大勢いることだと思っている。だからヒステリックに膨張し、解体していく。あな恐ろしや。

 

思った以上に読んだ数が少ないな。

もうちっと効率を上げて読んでいかないと。

 

つるやたかゆき