新映像の世紀 6回目を見ての雑感
F1 2016 バーレーンGP観戦記
趣味の悪いナイトレース、省エネだエコだ色々お題目を並べて、しょうもないパワーユニットを導入したF1がなにを言っても、結局環境のことなんて何も考えていないことが如実に理解することができる、アラブのレース。
そろそろ、クラシカルの域に入ってきたバーレーンだが、その割にグランプリならではの高揚感を持てないのは、砂漠の中に人工的につくられたロケーションと、グランプリサーキットがもつある種の物語性が欠如しているからだろう。
フェラーリがそこそこ盛り返してくる中、メルセデスがいかにしてその『格』を見せつけて、ヨーロッパに戻るまでにフェラーリに心理的アドバンテージを築くことができるか?アロンソの事故もあり、消化不良に終わったオーストラリアで見せつけることができなかったその底力を、誇示する絶好の機会だ。
フェラーリはフェラーリで、ここで食いついていけることを証明しなくてはならない。信頼性にはいささか難があるものの、まずは一発の速さででメルセデスに引けをとらないことを証明し、メルセデスに少しでも心理的プレッシャーをかけておかなければならない。プレッシャーをかけることにより、彼ら盤石なレース運びにわずかな亀裂をつけていかなくてはならない。
フォーメーションラップでヴェッテルのマシンから白煙。
やはりフェラーリの信頼性はイマイチのようだ。だがしかし、いわゆる『追う立場』のマシンはこの程度の信頼性でかまわないと思う。
王座を脅かす立場のマシンは、一定の速さと引き換えに信頼性は捨てなくてはならない。信頼性を積み上げてコツコツやる、それも確かに立派で間違いないアプローチだ。
だが、相手の力量を見誤ってはいけない。
王座に座っているメルセデスは速さ×信頼性で安定感は抜群だ。
フェラーリが追う立場で、同じアプローチをしていくならばメルセデスの数倍のハードワークが必要だろう。現在のF1でそれは現時的ではない。(00年代までは可能であった。テスト規制が戦略を全て変えたのだ。)
ならば、速さで少しでもプレッシャーをかけて、メルセデスを焦らせるしかない。
焦ったメルセデスが信頼性を天秤にかけ、速さを強化したときこそフェラーリのチャンスである。
同じ土俵で戦うことがでいる。あまりにも単純だが、これしか王座を奪う戦略は無い。
エースを失ったフェラーリだが、ライコネンは本当に良い仕事をした。
バーレーンとの相性もあるのだろうが、最終的にハミルトンを従えての2位チェッカーはお見事。
こういう仕事を要所要所ですることが、契約更新の要因だったのか。ベテランらしい見事な走りであった。
ロズベルグはマシン性能をフルに生かして連勝。昨年より思い切りが良いドライビングな印象。だがだが、これはシーズンがすすむにつれてどうなってくるか。
タイトル獲りの最後のチャンスをいかせるのか。それともまた夏には失速するのか。
前者であることを祈る。
対して、最大のライバルであるハミルトンは悲惨だ。
クラッチバイトポイントの件、短期間での改善は不可能という報道も目にしたが、スタートが悪すぎる。まるで下位カテゴリのクルマのようだ。駆動がタイアに伝わるまでに恐ろしく時間がかかっている。
オープニングラップの第一コーナーの接触も、スタートの悪さが原因となっている。
どうしてもスタートでしっかりと前の位置をキープできなければ、スピードのノリが良いウィリアムズあたりに絡まれることになってしまうので、こういったトラブルが多くなってくる。
チャイナGPでは、クラッチバイトポイントに改善は見られるのか。いわゆるここがメルセデスのウィークポイントになればそれはそれで面白い。
もっとも、スタートの遅れ、第一コーナーでのトラブルがあったものの結果的に最後は3位でフィニッシュ。大した問題ではないのかもしれない。
スタートで見所があったものの、レースは単調。
そんな展開を救ってくれたのはハースのグロージャン。
これは、もう以前のエントリで散々ハースに懐疑的なことを書いたことをお詫びしなければならないレベルである。
おそらくマシンそのものはトロロッソよりも速くないと思う。
だが、かなり思い切りのよい、取り回しの良いクルマに仕上がっている印象。
グロージャンが躊躇なくクルマを振り回している。回頭性を上げて横のバトルをおさえつつ、ここ一発はグロージャンの腕でオーバーをおさえてタイムを確保する戦い方だ。
ティルケデザインのスムースなサーキットが続くアジアーパシフィックラウンドはこの好調を維持しそうだ。
そして、デビュー戦でその力を証明したバンドーン。
自身も考えてもいないシチュエーションでのデビューだったと思うが、貴重な貴重なポイントをチームにプレゼントした。
こういうシチュエーションをモノにできたドライバーがもつ『物語性』しばらく、そんな物語に触れていなかった。
さてさて、次世代のヒーローになる準備はできただろうか?
少なくともこの300kmばかしのドライブで、ここ2年間マクラーレンを覆っていた厚い雲から少しばかりの日差しが見えたような気がした。
次戦、チャイナ。
もう少し、混乱を見たい。
つるやたかゆき
下駄箱キレイキレイ
ハースはコンストラクターなのか?
F1 2016年 オーストラリアGP観戦記
システム変更によりグダグダな予選から幕開けとなった2016年シーズンのF1GP、開幕はもはや定番のオーストラリア アルバートパーク。
予選システムのグダグダ感がなんとなく、いま現在の元気のないF1を象徴しているかのようだ。
意思統一ができない巨大組織はこのまま迷走していくのか。
それとも、またかつての栄華を取り戻せるのか。
確かなことは、現行のままだと次第に尻すぼみになっていくということだけである。
マシンの構造はいくら複雑になってもよいが、運用ルールが複雑化するのは観客、特にコアではない新規ファン層にはアピールにならない。
フットボールが人気なのは、その単純明快さが大きな要因だ。
F1だって、その志は単純だ。誰が、どのマシンが一番速いのか。それをはっきりとお客さんに教えてあげることが最大のファンサービスだ。
オーストラリアで予選を観戦していたファン、世界中でテレビを見ていたファンには残念ながらそれが伝わる内容ではなかった。
なるべく早めに予選フォーマットを改善してほしい。
個人的は過去の1時間で4アタックが一番緊張感があって良いと思うのだが・・・
決勝の第一印象は、混戦のシーズンを感じさせるものであった。
無線システムの運用が厳格化されたことも影響してか、最強メルセデスのスタートの悪さが際立っていた。
もちろん、次戦以降はしっかり修正してくるだろうが、天才肌のハミルトンがあそこまでマズいスタートをするのも珍しい。
対してフェラーリの二人の素晴らしさよ。とくにダスティなラインをとったにもかかわらずライコネンのオーバーテイクは見事。
フェラーリの今年のマシンはマシンそのものがもつメカニカル・トラクションが非常に高そうだ。メカニカル・トラクションなんて今、つるやが思いついた言葉だけど。。
フェラーリとメルセデス、まだメルセデスに分があることは間違いないが、ここ2年ほどの絶望的な差ではなくなってきている。
メルセデスの進化よりフェラーリの進化のスピードが優っている状況か。
ただ、そうはいってもメルセデス自体も新マシンのポテンシャルを全て発揮しているとは限らない。スケジュールの関係でアップデート仕切れていないパーツもありそうだ。フェラーリとしては、この開幕戦を含めたアジアーパシフィックラウンドで少しでもプレッシャーをかけておきたいというのが本音だろう。
その意味では、目論見はアロンソの事故で崩壊したと言えベッテルがしっかりリードラップを奪いとって『君臨』したことで一定達成できたのでないだろうか。
これが公園周回路の特設サーキットではなく、パーマネントの特にティルテデザインの高規格サーキットであれば、アロンソの事故でセーフティが入ることもなく、ヴェッテルがそのままチェッカーを受けていた可能性が高い。
あくまで、タラレバの話だがフェラーリのマシンとヴェッテルの組み合わせで、メルセデス勢にある程度の対抗ができる可能性を見せてもらった開幕戦であった。
いっぽう、開幕の地がオーストラリアであったことが幸運に作用したのは、新参チームのハースである。
つるやは、散々過去のビッグ(マウス)チームであるBARと比較、揶揄したエントリを書いていたがここは素直に謝罪しなくてはならない。
勿論、セーフティカー導入によるラックがあったにしろ、6位入賞は素晴らしい。
入賞そのものよりも、ハースがF1チームとして機能しており、ダラーラ作成のマシンが基本的なスピードをもっていることが証明された結果である。
6位まで上がったのはタナボタかもしれないが、その後後続のマシンに手出しをさせてなかったとことはデカイ。
名手グロージャンの腕もあったが、ハースのマシンが相対的評価で少なくとも昨年のマクラーレンホンダより上にいるということ。
なんたって、『レース』をしていたのだから。
ここからどうなるかはわからない。
巨人トヨタも初参戦でポイントを獲得後、ズルズルと後退していった。
あれだけの準備をして、膨大な資金があっても甘くはないのがF1の現場である。
ただ、この6位入賞によってフェラーリからのいわゆる『使える』チームと思われたことは間違いないし、噂されるライコネンの後任人事においてグロージャンがかなりの有力馬になったことも間違いであろう。
対して、少々低調に終わってしまったのがウィリアムズ勢、ポイントはしっかり獲得しているが、昨年までの目を見張らせる上昇機運といったものは感じない。
特にボッタスは今年が正念場だと思われるので、ガツンと気合の入ったレースを見せてほしいものだ。
ホンダは今年も技術的なブレイクスルーは無さそうである。
サイズゼロコンセプトがモノになるには、まだまだ相当な時間と資本の投下が必要なのだろう。
それまでアロンソ、バトン、そして背後にいるマクラーレンの株主達は待てるのか。
噂されるVWコネクションのプレッシャーを含めて、ホンダは試練が続く。
なにはともかく、今年もF1が開幕した。
CSの番組作りは最低であったが(いい加減、川井と今宮はきったほうが良い)この国におけるF1がどうなるのか、最後まで見守っていこうと思う。
つるやたかゆき
もう、iPhoneSEでいいや。iPhoneSEがいいや。ダウンジングサイズのススメ
かねてからの噂通り、iPhoneに新しいプロダクトが加わった。
簡単に言うと、現行の6Sの中身を一つ前の世代である5シリーズの中に押し込んだようなモデル。
それが、今回のSEというモデルのざっくりとしたプロフィールとなる。
つるやは、3GSの頃からiPhoneユーザーでもうすぐ6年になる計算です。
3GSから手を出したので、常に各世代のSモデルを手にしてきました。
今回も、そろそろ2年縛りが終わるタイミングだったので、いまいちピンときていなかったのですが、6Sでも購入しようかなと思っていたところでした。
iPhoneにしてなにが変わったかというと、macとの連携や、iTunesの連携といったハード面のことではなくて、『他人の携帯に興味がなくなった』という一点につきます。
他人さまのことは羨ましいと思ったことはありませんが、他人の新しい携帯電話は不思議と興味が湧くもの。
ガラケーを使用していた時は、いつも(2年縛りで安易に買い換えることができないにもかかわらず)新商品が気になっておりました。
それが、iPhoneを使用するようになって、ぴたりと止まった。
iPhoneのニューモデルについても、『どうせ、2年後にSモデルを買うし』と、既定路線なので特に興味もわかない。
契約の縛りが終わるタイミングで、その時の最新型に乗り換えるのことが前提なので、せいぜいストレージのサイズで悩むくらいです。
ちなみに、つるやはモバイル製品は黒と決めているので、色で悩むこともありません。ルールを決めておくと本当に楽。余計な選択肢が減ります。
正直、6Sのデザインはダサいなあと思っておりましたが、既定路線ならしょうがない。それを買うまでと思っておりましたが、昨日のSEの登場はそれを打ち破る出来事でした。
小型ディスプレイのモデルが出るとは聞いていましたが、中身も旧モデルのキャリーオーバーだと思っていたので、6Sと同等のエンジンは本当に嬉しい。
まあ、筐体のサイズからしてバッテリーは少々つらそうだけれど。。
こういうモデルを見ていると、トヨタが90年代終盤に放った、『小さな高級車』プログレを連想します。
クラウンの中身を5ナンバーサイズに収めた、トヨタの意欲作。
思えば、いまのちょっとオモロイ感じのするトヨタってここらへんから始まったんだよなあ。
SEを選ぶということは、クラウンではなく、身の丈にあったプログレを選んだ数少ない人々(プログレはめちゃくちゃ売れなかった・・・)と同じ感覚なのかなと。
自分の身の丈にあった、最良の選択。
その選択肢が広がったということは素直に嬉しい。
迷走している感じのAppleでしたが、こういう選択肢を提供できるということは、ハードスペックだけではない、『豊かさ』というサービスが提供できる会社って感じがしますね。
つるやたかゆき
愛がなければグルーヴはない
まあ、タイトルはやれやれさんのパクリです。
使い勝手がいいよね。村上春樹のタイトルは。本当に天才だと思う。小説は正直、読めたもんじゃないけど。
このところ、寝る前に野田努の『ブラック・マシン・ミュージック』を3年ぶりくらいに読んでいる。
ブラックマシンミュージック ディスコ、ハウス、デトロイトテクノ
- 作者: 野田努
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2014/10/09
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 164回
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この本は、いわゆるシカゴハウスとデトロイトテクノの発生から成立を、さまざまな登場人物のフィルターで掘り下げていく内容だ。
非常に分厚く、登場人物が次々と登場してきて、正直このシーンに興味がない人は辛い内容だが、一つの優れた社会学の本としても読める。
抑圧されるマイノリティのカウンターとしてアクション、それがデトロイト発のテクノミュージックなわけだが、だからこそデトロイトテクノは深く、重く、優しい。
90年代、すべてのダンスミュージックが『テクノ』で括られて日本でブームになったことがあった。
ランボルギーニミウラのジャケットでお馴染みのコンピュレーション、『テクノスポーツ』、ああ懐かしい。
イージーで、シャカポコな音がなっている中、デリックメイが奏でるストリングスオブライフは不思議な緊張感と、激しさ、そして優しさが同居している不思議なテクノだった。
16歳のつるやには、当時、その背景はわからなかったけど、デトロイトのテクノは何かヤバいって感覚はビンビンに伝わってきた。
虐げられるものがカウンターとして、用意した芸術は本当に素晴らしい。
壁がなくなり、カオスとなったベルリン
緩やかに死を迎えつつあるブリテン
そして、絶望の度合いではどこにも負けていない、日本。
そんな斜陽を迎えた先進国(だった)国で絶望している連中が鳴らすのが『テクノ』だと思う。
だた、現実からの逃避で聞くのも良いし、なにかに対する怒りを共有するために聞くのも良い。
ただの機能としてのダンスミュージックを超えたところで鳴っている音が『テクノ』の精神性だと思う。
以下、ブラックでマシンなミュージックのベーシックを貼っておこう。
デリックメイ 『ストリングス オブ ライフ』
https://www.youtube.com/watch?v=bjdmPALLna0
インナーシティ 『ビッグファン』
https://www.youtube.com/watch?v=omfiVkkJ1OU
https://www.youtube.com/watch?v=tkjDI_9sSz0
つるやたかゆき