ツルタカブログ

ファッション感覚でランしてる

新映像の世紀 6回目を見ての雑感

レコーダーの中に放置されていた「新 映像の世紀」第6集をようやく見た。
最終回である。
映像の歴史100年をたった6回で振り返るのだ、少々乱暴な感じもするが文句は言ってられない。
一回あたり16年をカバーか。
まあ、でも良い区切り方かなとは思う。昭和の戦争もそれくらいやっていたし。
今回の最終回も21世紀を振り返る形なので丁度16年だ。
一回あたり60分程度は少し短く感じるが、まあ妥当なんでしょう。

最終回は、アメリカ同時多発テロからである。
血に塗られた21世紀、なんとなくダークな21世紀、ここ16年間ずっと感じていた「21世紀」への
なじめない感じは、この大事件のせいなのかなと改めて考えてしまう。

とはいっても、この事件での死者は3000人程度。
イラク、アフガンで無慈悲にぶち殺された民衆は3000人を遥かに超えるわけで
やはり白人の命の値段は高い。
パリのテロの時も感じたが、白人の命は高いよ。
良い悪いの問題では無く、やっぱりこの事実は覚えておいた方が何かと良いと思う。
決して平等では無い世の中で、テメエはどうするのか。
まあ、んなこと言っても、このエントリを仕事中に書いているツルヤは相当なオオバカモノでございます。ヘイヘイ。

6集は、映像が身近になったことから、いままで見る側だったものが、逆に報道をする側になっていくという
ことが一貫したテーマだった。
YOUTUBEが誕生した経緯や、最初に投稿された動画は興味深かった。
また、当時手放しで礼賛されていたいわゆる「ジャスミン革命」「アラブの春」について総括をしていたのも
評価のポイントである。
当時からつるやは、アラブの春には懐疑的(要は正当なプロセスを踏んでいない民主主義は結局腐敗してしまうという懸念があったのです)でしたが、数年たってそれは現実のものとなっていた。
市民が主役とか言うは易しですが、結局良いように使われただけというね。
アラブの人々が、西欧の民主主義を輸入して、直ぐに使えるようになるわけないじゃんねえ。。
歴史も文化も違うんだから。

一方、首をかしげる。また同時代を知っている人間として承服しかねる演出もあったのも事実。
製作陣にゲイがいるのではないかと疑うレベルでの、ゲイ特集。
わずか60分の作品であそこまで、ゲイの少年が自殺する話をフィーチャーする必要があるか。
しかも、そんな話全く知らんかったぞ。
知らんといえば、よくわからん動画をアップするムーブメント。
恋するナントカクッキーの方しか知らんわ。

10年度、この映像をみたキッズたちに、「2010年代はこんことが流行っていたのかー」と思われるのは
あまりに残念すぎる。
逆に、いま無警戒で信じている60年代のサマーオブラブとかも、ごくごく一部のマイノリティがやっていただけかもしれん。

6回を通じて、なにかと稚拙なところや主張が青臭かったりと、本家本元の「映像の世紀」と比較すると
至らない点は山ほどあったが、それでも及第点はあげられるレベルのドキュメンタリでした。

できれば、この予算をすべて使って「映像の世紀」の後の世界(ベトナム戦争以後)を3本くらいに
まとめて作ってくれた方が良かったけど。

つるやたかゆき