ツルタカブログ

ファッション感覚でランしてる

F1中継存続決定。それは終わりの始まりだ。

日本のF1ファン、F1オタクをヤキモキさせていた問題がようやく解決した。
そしてそれは、後ほど振り返って見てみると悲劇の始まりといわれるに違い無い内容であった。


決定が遅れに遅れたが、2016年シーズンもフジによる放送に落ち着いた。
内容としては全セッション放映はあるもののCSによる放送のみ。
つまり、日本でF1を見るには『有料』のみでしか見ることができない。

これで完全に日本においてF1は終わった。完全に終わってしまった。
もちろん、それはすぐに死を意味することではない。だが、じわりじわりと日本のF1シーンは死んでいくであろう。

フジがアテにしているのは、90年代前半からF1を追いかけているコテコテのF1オタクである。セナプロ時代を直で見て、その初期衝動でここまでF1を愛してきた層。T-SQUAREのtruthを聞いて条件反射でヨダレを垂らす層だ。そこから最後の悪あがきで小銭を巻き上げようとしているにすぎない。

これからは、日曜深夜にたまたまテレビを見ていて、そこで演じられる白熱のバトルを見てF1ファンになる、月曜のヤフーニュースでF1の面白そうな記事を見て次のレースから見てみる、そんな新規ファン開拓の手法が全くなくなってしまったのだ。
新規ファンが減れば減るほど、F1周辺のメディア、モノも元気が無くなってくる。
本屋の棚から続々消えているF1雑誌は更に数を減らす。更にF1に触れることができる人は減っていく。際限の無いマイナスのスパイラル。

フジにお金を払う人々は暫く一定数は存在するだろう。
だが、ここ数年のF1は彼らのような『原理主義者』の鑑賞眼に堪えられるものではなかった。開発は極端に制限され、本来ならば魂を揺さぶるエグゾーストノートは間の抜けた音になってしまったF1には、流石の原理主義者たちも離れていくだろう。
その時が日本のF1の最後だ。
オリンピックでメダルをとったときのみメディアでチヤホヤされるマイナースポーツ以下の存在になっていることは間違いない。
大衆に露出がほとんどないスポーツに企業も投資はすまい。
日本人のF1ドライバーが再び誕生することも難しくなるであろう。広告効果の無いスポーツ選手にスポンサードする意味は企業倫理的にありえない。

さぁ、最後のF1が幕をあげる。
フジのCS契約は我々F1ファンに対する『踏み絵』である。踏んでも踏まなくても、天国には行けない。地獄の果てで我々が愛したF1の最後の断末魔を眺めようではないか。


つるやたかゆき